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祝☆解説員デビュー/謎のオーパーツは有名なあの三匹 !?

地球の反対側にあるメキシコのパレンケ遺跡で、私がみつけたオーパーツは、見〇聞か〇言わ〇の置物たち。日光東照宮で有名な三〇が、なんでこんなところに居るの!!! 【続・母さんの一人旅-4 パレンケ遺跡】

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祝☆解説員デビュー/謎のオーパーツは有名なあの三匹 !?

2015年の冬旅は、メキシコの密林遺跡を巡るひとり旅♪
旅の計画に当たり、最初にリサーチしたのは現地の天候でした。
メキシコと言えばカリブの海賊などの常夏の海のイメージが強いですが、実際に国があるのは北半球で訪れる地域の標高や緯度によっては冬旅には不向きの場合もあり得ました。

しかし事前リサーチで分かったメキシコの年末年始の天気は、雨は少なく日中の気温は18℃から25℃位と遺跡めぐりにはぴったりな気候で、旅をするには最高の時期だと考えて旅立ちました。
でも、現地で分かったことは、天気予報なんてクソクラエ。
私がメキシコで最初に歩いたラ・ベンタ遺跡では気温は軽く30℃を超え、顔から汗が噴き出す様な環境で体感温度は確実に32℃を超えていました。

だから、旅の4日目に歩いたパレンケ遺跡では密林遺跡の暑さに備え、朝にクエン酸粉末を溶かしたペットボトル3本を準備し遺跡探検へと挑みましたが、その水分消費量はあっという間で、お昼を迎える前には1.5Lの水分が私の体に吸収され、そして瞬く間に汗へと変わり蒸発していってしまいました。
季節は冬なのに遺跡の中は日本の真夏並みの陽射しと暑さ、そしてジャングルの木々が作り出す多湿な空気に包まれ、パレンケ遺跡の散策は想像以上に体力を必要とするものでした。

そんな大変な思いをしながらも歩き回ったパレンケ遺跡でしたが、朽ちたマヤ遺跡の中に残るレリーフに描かれたマヤの神様たちのユニークな姿はもう感動もの。
パカル王=宇宙人説の起源となるレリーフが見つかった碑文の神殿や、煙草を吸うオジイサン神様の姿、トウモロコシを擬人化した神様の姿(マヤ神話ポポル・ヴフは独特のお話で、ヒトの原型はトウモロコシから作られたと伝承されている)の彫り込まれたレリーフもあったりで、私の目は、神殿の中の壁画たちに釘づけ♪でした。

更にパレンケ遺跡では、私も生まれて初めて体験する珍事件もありました。
それは、遺跡は大好きだけれどもそれはあくまでも興味レベルである私が、メキシコ人相手に遺跡壁画の読み解き教室を階段ピラミッドの上で開催してしまったこと。
まさか、今までため込んできた遺跡に関する雑学がこんな形で役立つとは…と私自身もビックリでしたが、レリーフを見て感じた感動を他の方が同じ様に共感してくれるのは、非常に嬉しい経験となりました。

この旅行記では、宇宙人説のあるパカル王の墓以外にも見所たっぷりのパレンケ遺跡;メキシコ人も感激してくれたパレンケ遺跡の壁画について紹介していきたいと思います。

☆★☆★☆旅程 2015/12/25~2016/1/2☆★☆★☆
□12/25 成田-バンクーバー-メキシコ・シティ 
□12/26 ビジャエルモサ、ラベンタ遺跡、パレンケ 
□12/27 ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡 
■12/28 パレンケ遺跡、ミソル・ハ、アグア・アスル 
□12/29 オアハカ モンテアルバン遺跡
□12/30 ミトラ遺跡、エルトゥーレ、イエルベ・エル・アグア
□12/31 メキシコ・シティ、フリーダ・カーロ博物館、国立人類学博物館
□1/1  メキシコ・シティ-バンクーバー-
□1/2  -成田

☆★☆★☆続・母さんの一人旅~メキシコ編・旅行記☆★☆★☆
デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡
http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/24789/
暗闇のラビリンスへ・ヤシュチラン遺跡 
http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/25224/
宇宙人が作った古代都市
http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/26239/
お母さんは、にわか解説員
http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/27310/

☆★☆★2011年~母さんの一人旅・ボリビア編~☆★☆★
ティワナク遺跡 http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/15208/
ウユニで人さらい??   http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/15206/
チリ国境までの湖めぐり http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/15220/
ラパス市内観光  http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/15229/
太陽の島でトレッキング http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/15246/
Espejo del Cielo :http://tabisuke.arukikata.co.jp/album/15698/

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2011年の初メキシコ家族旅から4年を経て実現した2015年のメキシコの古代文明を巡るひとり旅。
この旅の基本は観光名所を繋ぐ旅なのだが、随所に私なりのこだわりミッションが散りばめられていた。

旅の2日目に訪れたラ・ベンタ遺跡でのミッションは奈良県明日香村で見つかった猿石(6世紀の作と推定されてる)とオルメカ文明の出土品の共通項を探しだすことで、3日目のラカンドン遺跡でのミッションは、初期のマヤ遺跡が残した1000年前に描かれた色鮮やかな壁画を己の眼に写し取ってくることだった。

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そして、旅の4日目となるパレンケ遺跡ではパカル王=宇宙人説の真相を探るのが一番のミッションではあったが、此処でのタスクはそれだけではない。
パカル王が基礎を作ったと云われる宮殿(王宮)を探検するのもその目的の1つだった。

宮殿には他のマヤ遺跡では見つかっていない高い塔(天文台だと推測されている)があり、そこにはパカル王に関する謎が隠されている。
また、パカル王の息子であるカン・バラム王が描かれたレリーフは、他のマヤ遺跡では見ることの出来ない特徴を持つと云う。
(写真:パカル王の墓所である碑文の神殿前から眺める宮殿)

宮殿が建てられているのはパレンケ遺跡の中央部分で、他の構造物と同じように積み重ねられた石段の上に建物が作られている。

パレンケ遺跡の建築物の石段が階段状に組まれている理由は、一般的にはマヤ人の太陽崇拝に由来し、神である太陽に少しでも近づきたいという原始的な欲求から来ていると云われている(エジプトのピラミッドと同じ理由)。
でも、メキシコの遺跡がピラミッド型(山型)をしているのは本当にそれだけが理由なのだろうか。

私には太陽崇拝とは別に現実的な理由があったのではないかと云う気がする。

現実的理由…とは、この地方の気候に由来するもので、夏に雨季を迎える熱帯地域では大雨の時には川が氾濫し、平地にある簡易的な小屋などは簡単に流されてしまったことだろう。
近くに大きな山も無く、いったん洪水が起きてしまったら逃げる場所はどこにもない。
川にはワニなどの危険な生物も多く生息していたことだろう。
そんな時に石積の階段ピラミッドがあれば、避難場所と成り得たのではないかな。

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そんな思いを抱きながら宮殿の石段を登り建物の基礎部分へと辿り着くと、目の前に現れるのはマヤ・アーチのある回廊だ。

マヤ・アーチの右後ろに見えるのは、パカル王の墓所でもある碑文の神殿だ。

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マヤ・アーチとはマヤ文明独特の三角形型をした屋根の内側構造を指し、重い石積みの屋根にかかる重力の分散を目的として作られている。

石積みの重力負荷を軽減するアーチの建築方法としては、ローマ時代の水道橋の橋脚(ローマ・アーチ)が世界的には有名だ。

マヤ・アーチとローマ・アーチの二つのアーチの大きな違いは石の積み方(組み方)。
ローマ・アーチでは台形に形を加工した石をアーチの内側が滑らかな半円を描くように組むが、マヤ・アーチでは四角い石を水平にずらしながら組み、その頂点に中心を繋ぐ石を入れる持送りアーチと呼ばれる構造だ。

そして、この二つのアーチ構造でより強力なのはローマ式の石組みで、マヤ・アーチの強度は残念ながらローマ・アーチには劣っている。

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マヤ・アーチとはマヤ文明独特の三角形型をした屋根の内側構造を指し、重い石積みの屋根にかかる重力の分散を目的として作られている。

石積みの重力負荷を軽減するアーチの建築方法としては、ローマ時代の水道橋の橋脚(ローマ・アーチ)が世界的には有名だ。

マヤ・アーチとローマ・アーチの二つのアーチの大きな違いは石の積み方(組み方)。
ローマ・アーチでは台形に形を加工した石をアーチの内側が滑らかな半円を描くように組むが、マヤ・アーチでは四角い石を水平にずらしながら組み、その頂点に中心を繋ぐ石を入れる持送りアーチと呼ばれる構造だ。
そして、この二つのアーチ構造でより強力なのはローマ式の石組みで、マヤ・アーチの強度は残念ながらローマ・アーチには劣っている。

そんな風に考えながらマヤ・アーチを眺め、宮殿の回廊を歩いていたら、壁に開けられた不思議な形の窓に気が付いた。
その穴はアルファベットのT字型、凸型をひっくり返した形をしていて、宮殿の壁の至る所に開けられていた。
壁を貫通している穴もあれば、壁の中央に中途半端に彫り込まれた穴もある。

そして、レリーフのデザインの一部であるかのように開けられた穴もあった。

どの穴もサイズはそれぞれ異なるが、その形は決まってT字型だ。
このT字穴に関しては現地ではたいした情報は得られなかったのだが、帰国して少し調べてみたら興味深い話が出てきた。
いずれも真偽のほどは定かではなかったが、ナルホド・・・と思えた話をいくつか紹介したい。

・説1:空気穴
 宮殿は石造りの建物なので縦のラインの空気の流通は良いが、横のラインでは空気が動かない。だから、壁に空気穴を開けて空気の通りをよくした。
 →この説は私も現地で考え付いたくらいだから、一番ノーマルな考え方だろう。

・説2:壁の質量軽減
 宮殿の建物は石造りでかなりの重さがある。だから、壁のところどころに穴を開け、建物の重さを軽くしている。
 →一見、ナルホド・・・と納得しそうになるが、建物の重さを軽くしたいのならば石組みで四角い穴を作ればよいだけで、わざわざT字型の様な複雑な形の穴を開ける必要はない。また、T字型の穴は却って壁の強度に歪をもたらすと思う。

・説3:鍵穴
 宮殿の建物に作られたT字穴は実は鍵穴で、パレンケ王の持つ秘密の石の鍵とぴったりと合致するのは建物内にいくつもある鍵穴の中で1つだけ。その穴に王の持つ石鍵を入れると隠し扉が静かに開き、パレンケの財宝が眠る宝物庫へと入ることができる。
 →つまり、宝物の部屋を分からなくするためのダミーの鍵穴が山ほど作られているという説だが、全部の鍵穴を試してみればいつかは本物の宝の隠し場所の鍵穴に行き当たるのだから、泥棒避けにはあまり役に立たないと思われる。
 でも、この考え方はもう少し深く追求してみると、あながち間違いではないかもしれない…とも思えてくる部分もある。
 もし、実は全ての鍵穴がダミーで、本当の宝物殿へは異なる方法でアクセスするとしたら、どうだろうか。
 泥棒たちは故意に流された偽の鍵穴情報に惑わされ、壁に開けられた大きな鍵穴ばかりに目を向け、本当の隠された鍵穴には気が付くことはない。

もしかして、説3が正解だったりするのかもしれない。

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宮殿の建物はパカル王の時代に建築が開始され、その後の王の世で次々と建て増しされていったので、内部の構造は秩序が無く迷路の様で、ふらりと歩いていると自分が何処を歩いているのか分からなくなり、迷子になりそうになる。

そんな入り組んだ構造物の中で方向を見定める目印になるのが、天文台(天体観測塔)と呼ばれる3層構造の塔で、戦の時の物見の塔にも使われていたらしい。

この様な塔形の天文台はマヤ文明の他の遺跡ではまだ見つかっておらず、パレンケ遺跡に特異的な形だそうだ(現代人から見ると一般的な天文台の塔に見えるが…)。

そして、この天文台の塔にはちょっとしたトリビアがある。
それは、冬至の日に天文台の塔からパカル王(宇宙人説のある王)の墓所方向を見ると、神でもある太陽がパカル王の墓所(碑文の神殿)を覆うかのように沈んでいく。
私がパレンケ遺跡を訪れたのは冬至から1週間後の12/28なので、完全に日没の方向は一致しないが、太陽の動きが冬至の日と似たようなラインを通る頃。
天気が良ければ夕方にこの天文台の塔へと登り、パカル王の神殿方向へと沈む夕日の光景を見たかったのだが、残念なことに天文台の塔の上へは今はもう登ることが出来なくなっていた。

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天文台の裏側へと廻る。

天文台の裏には地面が1mほど下がった広場のような空間;東の広間があり、広間の柱には多くのレリーフが残されていた。
しかし、そのレリーフの殆どは1000年以上も風雨にさらされた影響で摩耗し、何かが彫ってあったという痕跡は見てとれるものの、彫られた物が何であるのかを判別するのが難しい状態だった。

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そんな中でもかろうじてマヤ・アーチの下に保護され劣化を免れたレリーフが数枚あり、現在は風雨を遮る屋根を付けられて保存展示されている。

その一つがこの写真のレリーフで、戦争により捕虜となった奴隷が連行される姿を現してると解釈されている。

このレリーフが発見されたことにより、この東の広場は生け捕りにした捕虜のお披露目の場でもあり、処刑(拷問)の場であったとも考えられている。

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レリーフの中には明らかに捕虜とは異なる姿の像も有った。

髪飾りをつけ、その右手には杖のようなモノ(鍵束の様にも見える)を持っている。
このレリーフには解説が無かったので詳しくは分からなかったが、多分、奴隷を見定める当時の王の姿を彫ったモノだろう。

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広場の片隅には、組み合わせ文字であるマヤ文字のレリーフも残されていた。

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宮殿は、部屋がそのまま残っている部分は少なく、建物の壁部分はかろうじて残っている程度で、マヤ・アーチがあった上部はその殆どが崩れ去ってしまっている。

そんな昔の小部屋であった空間に腰を下ろして、少し休憩。

目の前にはパカル王の墓所である碑文の神殿の姿がどど~んと見える。

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