海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP  > 旅スケTOP子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…の旅行記

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

わらべ歌【通りゃんせ】、この歌の発祥の地は埼玉県川越市にある神社。わらべ歌の不可思議な文言、その謎を紐解きに旅に出た......。ミイラ取りがミイラとなってしまった小江戸・川越への旅。

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

1

2

3

4

次のページへ→
写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

一番街

通りゃんせ 通りゃんせ 
ここはどこの 細道じゃ 
天神さまの 細道じゃ 
ちょっと通して 下しゃんせ 
御用のないもの 通しゃせぬ 
この子の七つの お祝いに 
お札を納めに まいります 
行きはよいよい 帰りはこわい 
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ 

わらべ歌【通りゃんせ】は、田舎で幼い頃を過ごした私には外遊びの定番の歌で、耳で覚えたその歌をよく口ずさんでいました。
最近になり、ふとその歌詞を思い出し、歌に込められた意味を考え、歌詞として不思議な文言の並びであることに気づきました。

そこであらためて【通りゃんせ】について調べてみると、このわらべ歌の意味の解釈については歴史的背景のある説からオカルト風説まで様々あり、それぞれの説がなかなか興味深い内容で、更にこのわらべ歌【通りゃんせ】の発祥の地と云われる神社が埼玉県にあると知ました。

【通りゃんせ】発祥の地があるのは、小江戸としても有名な埼玉県川越市。川越市にある三芳野神社がその発祥の地と云われています。
江戸時代、この三芳野神社は川越城の中にあり、近隣の住民が神社に参拝する時、特に帰路には厳重な身体検査がありました。身体検査の理由は、住民に扮した隣国のスパイによる機密文書の持ち出しを防止するため。だから、♪行きはよいよい 帰りはこわい…という唄になり、その唄が川越の子女の間で広まり、江戸、そして全国区のわらべ歌となったとされています。

現在は、歌詞の由来としては上記の説が有力視されていますが、私としては、俗説として語られている“7歳までは神の領域の子であり、神かくし等でふと消える様にいなくなることもある。故に神社から帰る時は背後からの物の怪に注意するように…”とする説が、一番ストンと落ち着く気がします。
その昔、庶民の子供たちは栄養状態や衛生状態が良いとは言えない環境下で育ち、7歳まで健康でいられた子供だけが、その後も丈夫に生活できる。と云われていました。
この唄は、親が子供の元気な生育を願い、子供が神隠し等に遭わないように、子供の深層心理に危険が予想される場所を刷り込むために、親から子、子から孫へと子守唄の様に唄われ続けたのではないかな…と思います。

そんな、【通りゃんせ】伝説のある川越市を9月の連休にお散歩した旅日記です。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

熊野神社

小江戸-川越を巡る旅、今回私の旅に付き合ってくれたのは、旅行記初登場の友人G。
友人Gとは高校以来の付き合いで、二人が出会ったのは “地学部”というクラブ・アクティビティ。
どうあがいても派手には見えない“地学部”で培った友情は、卒業後○十年を経過しても未だに続いている。
そんな友人Gとの旅の出発は、朝9:00の東武東上線の川越市駅。
9月中旬と云えども日中の予想最高気温は30℃超え。少しでも涼しい内に小江戸の風景を楽しもうという計画だ。

そして、最初の目的地は熊野神社。御社紋は八咫烏で、開運と縁結びの神を祀っている。

まずは、社を詣で、運試しの輪投げに挑戦する。
チャンスは一人3回。
コレがけっこう難しかった。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

熊野神社

熊野神社には、足つぼロードと云う小石を敷き詰めた場所(写真)がある。
その上を素足で歩き、足の裏の痛い場所から全身の不調を推測できるちょっとしたアトラクション。

早速、チャレンジしてみた。
小石はゴツゴツしていて、土踏まずに当たると気持ちいい。
痛いところなんて、どこもないと思いつつ歩いた。

でも、それは神社に向かって左側の足つぼロードの方だけ
右側の足つぼロードは、埋まっている小石が小粒で、一歩進むごとに小石が足の裏に突き刺さる。
なんだか修験者の気分になれる足つぼロードだった。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

大正浪漫通り

熊野神社を抜けると、そこは大正浪漫通り。
かつての川越の商店街のメインストリートであった通りで、“土蔵造り”と呼ばれる建物から大正時代の洋風建築物が並ぶ道。

時代がミックスされた不思議な雰囲気が漂う道だ。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

大正浪漫通り

この通りの中でも目を引いたのは、加藤家の店蔵。

いまはお食事処(お蕎麦屋さんかな)として営業しているが、もともとは鉄鋼商であった店舗。
土蔵の側面を大谷石で積み上げている独特の形状をしている。

鉄鋼と云う火を扱う仕事であったために、火事が起きても隣へ延焼しにくい石づくりにしたのだろうか。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

大正浪漫通り

大正浪漫通りで、かなり面白い看板を発見。

手焼きせんべいの“発狂くん”。
まだ時間が早かったので、店舗が開いていなく味見はできなかったが、いかにも辛そうなネーミング。

看板には、かすれた文字で“勉強の友に”と記されていたが、発狂するほど辛いのであれば、勉強どころではなくなるだろう。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

蓮馨寺

次に向かったのは蓮馨(れんけい)寺。

蓮馨寺は江戸時代に僧のための学問所として建てられた格式が高いお寺だ。

(でも、私にはどこが格式が高いのか、イマイチ、ピンとは来なかった)

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

蓮馨寺

蓮馨寺に来た目的は、朱塗りのおびんづる様。
おびんづる様はお釈迦様の弟子のひとりで、患部と同じ場所を撫でると症状が回復すると云われる仏様。

最近、長時間PCを使うと目の疲れを感じる私は、おびんづる様の目をナデナデ。

すると、友人Gも同じ行動…。

何だ…。二人とも同じことを感じているという事は、年相応の症状ってことかな??

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

大正浪漫通り

蓮馨寺を出て、大正浪漫通りに戻る時、小さなお店(にび堂)を発見。
和柄の手ぬぐいやハンカチを扱っているお店だ。
特にネコ柄の物の充実が著しい。

ここのお店でトラップされてしまい、何点かお買い上げ♪
この後、あちこちでお土産屋さんを覗いたけれど、お手頃価格のネコの木綿製品ならば、ここ“にび堂”が一番お勧めかもしれない。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

一番街

次に足を踏み入れたのは、土蔵造りの街並みで有名な川越一番街エリア。
電線が地中に埋蔵され、江戸・明治の町並みを見られる日本でも数少ないエリアで、外国からの観光客も沢山。

この街並みの凄いところは、ただ江戸・明治の街並みを保存しているだけではなく、その建物を現在も店舗として利用しているところ。
歩いている人は現代の人だが、今から100年前、200年前には和装の町人たちが闊歩していたであろう景色を想像することができる街並みだ。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

一番街

土蔵作りの建物が並ぶこのエリアで、私が一番見て見たかったのは、屋根の両端に鎮座する鬼瓦と鬼瓦を包み込むように作られた漆喰細工の影盛(かげもり)。

一番街エリアの土蔵作りの大屋根の上には、たいていどの家も鬼瓦と影盛が乗っかっている。

特にこの写真の土蔵の影盛はユニークで、鬼瓦から睫毛が生えた様なデザインをしている。
これは呪術的な意匠で、鬼瓦が髪を逆立てている様子を表している。
一度、大火が起きると辺り一面が焼野原となってしまった江戸時代、火をよける意味で作られた意匠だという事だ。

写真を拡大する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…

一番街

印象的だった鬼瓦や屋根の意匠をまとめて紹介。

右上:まちかん刃物店
右下:くらづくり本舗〈和菓子屋〉
左下:銀パリ(床屋):店名が銀パリなのに屋号が“金”と云うのが面白い
左上:やまわ(陶器屋)

1

2

3

4

次のページへ→
拍手する お気に入りの旅スケに追加 通報する

子を攫うは何処の神か物の怪か。行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも…へのコメント


※コメントの投稿にはログインが必要です

近くの旅行記

マラソン疲れなんか吹っ飛ばせ!小江戸川越立ち寄りツアー
マラソン疲れな…

新着スケジュール