さいはての離島へ 秋の利尻島・礼文島3日間 ☆もう雨女なんて言わせない!☆

夫の腰痛で北京行き断念。歩行距離の短い、国内ツアーに変更。 台風の合間に往復。青空の利尻富士、宗谷岬から樺太遠望。4泊北京自由旅よりコスト高だが、絶景、温泉、海鮮、紅葉満喫でコスパ130%。

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稚内市樺太記念館

稚内市樺太記念館

日露国境標石
(上写真)(天第1号 北面/ 露西亜側)
(下写真)(天第1号 南面/ 日本側)
日露戦争後のポーツマス条約で南樺太(北緯50度以南)が日本の領土となった時に、置かれた国境石のレプリカ。

樺太記念館(入館無料)には、樺太の事を学べるビデオもあります。 集合時間まで間に合いますよ(上映時間13分程)と係員の方が私達の為に上映して下さいました。
樺太に置かれた日露国境標石のレプリカ(写真)も展示されている。 
大鵬の化粧まわしが展示されていましたが、これだけは撮影禁止。 薄紫にスズラン、左下に金糸で大鵬と刺繍さら、金のさがりの上には北海道炭鉱汽船と白糸で刺繍されていました。 これだけは撮影禁止。

☆樺太(サハリン)とは   (説明板より)
・・・・・
■地名の由来 「カラフト」の語源は、アイヌの人たちがこの島を「カラプト」とよんでいたことに由来します。 漢字では、「加良太」「唐太」「唐戸」などとかかれました。 公的には、1809(文化6)年に徳川幕府が「北蝦夷地」と命名し、1869(明治2)年からは「樺太」とよぶようになりました。 「サハリン」は、北方民族ツングース語で、「サハリン・ワラ・アンガ・ハタ」(黒龍江口の山)とよばれたことに由来します。

☆ここに降りたがため、今がある☆  大鵬と稚内の関係は?
大鵬の父がロシア人であると教えてくれたのは今は亡き相撲好きの祖母ですが、樺太出身とは知りませんでした。 でもどうして稚内に大鵬の化粧まわしが展示されているのか?説明板に詳しく記載されています。 (長いので興味あるところだけ拾います。)
白系ロシア人の「集団移住」で納屋幸喜(大鵬)3歳の時ウクライナ人の父と離れ離れになります。 1945年8月、ポツダム宣言を受諾した直後、大混乱の樺太、敷香(しすか)から超満員の汽車で2日がかりで大泊にやって来た幸喜(当時5歳)一家は 逓信省の「小笠原丸」に乗船し、母の実家・北海道の神恵内に向かう。 小樽まで乗船の予定が、母の船酔いで稚内で下船。 翌日「小笠原丸」潜水艦の攻撃で沈没。
つまり「ここに降りたがため、今がある」by大鵬 となるのです。
何とも運の強い人ですよね。
その後、角界に入ってから毎年のように稚内に足を運んだそうです。
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