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妖怪は何処へ消えた【ヘルンが愛した神々の国:八雲の呟き】

晩夏に訪れた島根・鳥取は明治の文豪である小泉八雲を巡る旅。旅の記憶を綴っていたら、どこかからか八雲さんが飛来し、旅行記ジャック!八雲の妻セツが松江を語る前篇との夫婦旅日記です。

妖怪は何処へ消えた【ヘルンが愛した神々の国:八雲の呟き】

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妖怪は何処へ消えた【ヘルンが愛した神々の国:八雲の呟き】

セツが現し世への旅から帰ってきた。
それは昨日のことだったのか、それとも時を忘れるほど昔の話だったのか…。
現し世を離れ、彼方の地に浮かぶ私には、時の感覚がもう分からなくなってきている。

旅から戻ってきたセツは頬を赤らめ、まるでうら若き乙女の様に、現し世で見聞きしてきたことを熱心に私へと語ってくれたのだが、セツは大事なことを失念している様だ。
我々、肉体を離れた魂は、時間も空間も自在に旅できるという事を。

実は私はセツが暫く現し世に留まると決めた時に、セツがいない寂しさのあまり、私も現し世へと転がり出てセツの傍へ寄り添っていたのだ。
つまり、セツと共に100年後の世界のアレコレを愉しんでいたという訳だ。

しかし、セツは現し世に居たころから霊感と云うものがあまり強くはなく、霊魂になってもそれは変わらず、現し世で私がすぐセツの傍にいるというのに、100年前の私との昔の思い出に浸るあまり、私に気づくことは無かった。

それはそれで少し悲しかったのだが、切々と私への想いを愛らしく語るセツを眺めるというのは生きていた頃にはできなかった体験で夫冥利に尽きることであり、また、小説家としての私にとっては非常に貴重な経験でもあり、この出来事を基にアチラの世界でセツを主人公とした新しい物語が書けそうだ。

あゝ、自己紹介をするのをすっかりと忘れていた。

私は文筆家のヘルン。
正式な名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
日本では小泉八雲と呼ばれるギリシアの血脈を継ぐ明治の漢である。

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---旅日記 1--
小泉八雲の縁の地を巡った後は、松江の見所へ。
松江での滞在時間はこの日の午後だけとそれほど余裕がある訳ではないので、見どころを絞り込んで、訪れるのは松江城周辺のエリアだけとした。

松江城は1611年に築城された歴史ある城なのだが、江戸幕府の終焉と共に廃城が決まり、あわや城の取り壊しが始まりそうになった所を地元有志の力で国から買い戻され、取り壊しを免れた城でもある。

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松江城には見所がいくつかあり、その一つが石垣の積み方。
お城の石垣なんてどこも同じでしょ!と思いがちだが、実はそんなことはなく城それぞれに個性がある。

松江城の石垣は天然の石を殆ど加工せずに形を組み合わせて隙間なく積む“野面(のづら)積み”と呼ばれる石組みで、その石組は築城から400年を経ても崩れることなく保ち続けているという事だ。

野面積みの工法は一見ラフそうに見えるが、強度を保つためには豊富な経験が必要となるそうだ。

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お城の屋根瓦だって、鬼瓦が個性的でなかなか素敵。

一般的に鬼瓦というと魔除けの意味が持たせるために四角いいかつい顔の鬼、角が生えた鬼の顔があしらわれることが多いのだが、松江城の鬼瓦は丸みを帯びた形であり、更に鬼たちの表情も怖いというよりもユーモラスな雰囲気を秘めている。

これは、他の地方の城にはない松江の独創的な鬼瓦だという事だ。

更に、鳥衾(とりぶすま)と呼ばれる円柱型の瓦の紋(家紋)にも特徴があり、築城時の五三桐(写真)紋と松平家が藩主となった時に修復した三つ葉葵紋の二種類が混在していた。

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城の内部は、基本的には日本各地にある城とは大きくは変わらなかったのだが、ちょっと面白いなと思ったのが、お城の重みを支えるための柱の入れ方。

城の建築方法には時代により様々な方法があるのだが、松江城の場合は、堤板(つつみいた)と呼ばれる板で覆った柱を城の階層を超えて設置し、城全体の重さを分散する建築方法で築城されているそうだ。

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通常、城の建築では1階から天守閣までを大きな一本柱で繋ぎ、その柱を中心に均等に力がかかる様に建築することが多いそうだが、松江城の場合は二階層ずつを交互に柱で繋ぎ、1本の柱にかかる荷重を軽減させると云う、日本の城の中では画期的な方法が採用されている。

確かにこの方法ならば芯となる柱用にそんなに長い木材は必要ない。
強度が強くなる上に木材の調達も簡単に済み、木材代も安価になるのだから、この工法を考えた大工さんは凄いのかもしれない。

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---八雲の呟き 1---
松江城は塩見縄手にある我が家から毎日、眺めていた城だ。
特に日本一の大きさを誇る木造の鯱が守る天守閣は我が家の庭からも良く見え、いつかあそこに登ってみたいと思っていたのだが、私が松江に居た当時は城の老朽化が進み、その願いをかなえることができなかった。

入母屋破風と呼ばれる三角の飾り屋根も我が家から見えていたものだが、美しく修復されている様だ。

私が生きていた頃は、西洋かぶれの学者が【漢字廃止論】などを唱え、美しき日本語である表情豊かな漢字を排除し、平仮名とローマ字表記に変えるなどという呆けた主張がまかり通っていて、この先の日本がどうなっていくのかと心配したものだったのだが…。

100年後の日本でも古いもの大切に守り抜く古き良き日本の考え方が残っているのは嬉しい限りだ。

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天守閣からは松江の城下町が見え、殿様気分とはまさにこのこと。

しかし、天守閣の眼下には、妻セツと私が暮らした松江の街並みはもうどこにもない。
ビルディングと呼ばれる天にも届きそうな大きな墓石が立ち並び、思い出の景色は消えてしまっていた。

Alas!
あの子たち一体、何処へと行ってしまったのだろうか。
オトナの男を容易く水の中に引きずり込むと言われる河童、古い家に居るという座敷童、そして、寒い雪の夜に何処からともなく現れる雪女などの妖怪たち。

神の小さな子供たちである妖怪が暮らしていた場所は、まだ残っているのだろうか。

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唯一、遠くに見える宍道湖。

あの湖だけは、妻セツと私が湖のほとりで暮らしていた100年前と同じ姿だ。
セツが宍道湖の畔で保護した仔猫の一件は、昨日の事のように良く覚えている。  

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---旅日記 2---
城の階下へと降りると武具の展示などがあり、歴代の城主が身に着けた兜もあった。

戦国時代の兜などは武将によってはかなり個性的なデザインも有り、直江兼続の【愛】兜や上杉謙信の【うさみみ(兎耳)】兜などが有名だが、松江城の歴代城主が使っていた兜もなかなか個性的だった。

鹿の角(焔かな)兜は割と普通だったが、その隣にあったキャップの前に巨大な耳の生えた鬼をあしらった兜などは国が違う(東南アジア的なデザイン要素が強い)のではないかと思う程。

説明板によると、兜は領主の個性を主張するためのアイテムとしては非常に重要だったらしいが、やり過ぎ感があるのは否めない。

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1階へと降りると、若い女の子たちが城の一角で賑やかに騒いでいた。

何事かと思って行ってみると、城の柱には、浮き出たかのような目と口。
心霊現象…みたいなやつかと思っていたら、どうやら違うらしい。

柱の木の天然の木目がハート形に見えるという事で、なにやら恋愛のパワースポットだということ。

当時の大工さん達が聞いたらビックリしちゃうよね。

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妖怪は何処へ消えた【ヘルンが愛した神々の国:八雲の呟き】

松江城の敷地内には興雲閣(こううんかく)と呼ばれる洋館も建てられている。
城の敷地内に洋館というと不思議な気もするが、西洋化が盛んに叫ばれた明治時代には、コレは普通の事。

松江の西洋化の第一歩として作られた建築物とのことだ。

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