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母はお茶目な74歳/HOT な新潟・清津峡でアートに挑戦

10連休の前半は越後の里へ。江戸時代のPlay Boyを偲び、日本一の棚田を見おろし、美人林で森林浴。ついでに隠れキリスタンの里を見つけ、アートに挑戦♪の1日ドライブ旅を楽しみました

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2019年のGWは10連休。
こんな時こそ大手を振って海外脱出計画!が王道ですが、今年だけはそうはなりませんでした。
3月に大きな旅を終えたばかりの私の4月は、完全に脱力・無気力状態。
日々の仕事を頑張るのが精いっぱいで、海外へ渡航なんてことは体力的にも気力的にも不可能でした。

だから、今年の10連休は日本で躰を休めよう。
連休前半は実家へと帰省し、久しぶりに両親と共にのんびり・ゆったりしよう。
と考えていましたが、この娘にしてこの親アリの我が両親。

楽しいことが大好きな両親には「のんびり」なんて概念はなく、娘の帰省の報を聞いた彼等は、春の香りが漂い始めた新潟を愉しめるドライブ・プランを準備して私を待ち構えていました。
しかもその旅先は私の好みを反映した場所ばかりで、インターネットを使いこなす両親のリサーチ能力には感服。

ゆったり出来たのかは微妙な新潟滞在でしたが、両親のお蔭で笑顔たっぷりのリラックスした帰省となりました。

江戸時代のPlay Boyを偲び、日本一の棚田を見おろし、美人林で森林浴。
ついでに隠れキリスタンの里を見つけ、アートに挑戦♪したドライブ旅。

そんな春薫の新潟の旅日記です。 

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晴れた朝に、父の車の助手席に乗り日本海をドライブ。

GWに海岸線を車で走るなんて関東エリアでは渋滞覚悟の行動だが、日本海側ではストレスフリーの快適なドライブだ。

車が走るのは、新潟市から柏崎へと繋がる海岸道路。

この道路沿いには、山がそのまま海へ繋がるちょっと面白い地形をしている浜:角田浜もあり、ちょっとした観光地となっている。

そして、この角田浜は私にとって、若かりし頃の苦い想い出が残る地でもある。

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若かりし頃の苦い思い出とは、恋愛話でも熱い友情の話でもなく、学校行事の思い出。

当時、私が在籍していた中学校にはいわゆる不良と呼ばれる方達がいて、毎年の学校遠足は楽しいピクニックではなく規律を高めるための徒歩遠足。
ソレはなかなか過酷な遠足で、日本海の海岸線30kmを歩き、その後に海岸線からそびえる角田山(482m)に登るという体力勝負の遠足だった。

私が中2の時の遠足。あの日の事は今でもクリアに覚えている。
あの日の遠足は嵐の翌日で、空はクリアに晴れあがってはいたものの、海には嵐の後のうねりが残り、波も高い状態で、海岸の岩には大きな波が打ち寄せていた。
30kmの海岸線を歩き終えた当時の生徒たちの誰もが「海がこんなに荒れているのだから、海沿いの崖を伝う山登りは危なしい、遠足は海岸線歩き迄で終わりだろう」と思っていたのだが、先生方は冷たくこう言い放った。

「君たちの帰りのバスは角田山の向こうで待っている。だから、山を登らないのならば君たちは30kmを歩いて戻る事になる」

先生方は当時の私達に、根性を植え付けたかったらしい。

下山口にしかバスが待っていないのであれば、生徒の選択肢は山を登るのみ。
海岸線で昼食を食べ終えた私達は岩窟トンネルをくぐり、岩場に張り付くように作られた崖沿いの登山道を歩き出した。

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角田山への登山道があるのは海に切り立つ高い崖の中腹で、その登山道の幅は狭く40cmあるかないか。
自分が山側にぴったりとくっついて歩いたとしても登山道の30cm右側は垂直の崖で、崖下から聞こえてくるのは大きな波が岩に当たって砕ける音。
登山道は天候の条件が良い日でもなかなかスリリングな道だった。

そして、前日の嵐の余波で海が荒れていたこの日は、スリリングな登山道はスリリングを通り越した恐怖の登山道と化した。

嵐の後のうねりのある波は岩壁に打ち付けられることにより、うねりが強くなる。
増幅されたうねりは閾値を超えると大きな波となり、その波は崖を駈け上がり、崖沿いの登山道を襲う凶器となる。
波のそんな性質は大学でシッカリと勉強なさってきた当時の教師の方々にも十分に予測できていた筈なのだが…。

私達が列を作り崖に作られた登山道を歩いている時、崖下に繰り返し打ち付けられ増幅された波は轟音と共に私達が居る崖を登り上り、崖沿いの登山道を歩く私達;生徒を直撃した。
当然、登山道にいた生徒はパニックになったが、3学年分の約600人がズラリと並んで歩いているので、前にも後ろにも逃げようがない。

崖沿いの登山道に居た私達が出来ることは、頭から波をかぶりずぶ濡れになりながらも必死で山側の崖にしがみつき、波に攫われて崖下に落とされないように耐えることだけ。
恐怖の波は場所を変え、幾度となく私たちを襲った。
それは、とても遠足とは思えない光景で、けが人や死人が出てもおかしくない絵図だった。

その様な状況でもその日の遠足はそのまま山登りが続行され、生徒たちは水も滴るいいオトコやオンナになって帰りのバスに乗り込んだのだが、バス会社さんも座席がびっしょりと濡れてしまって大変だったのではないかな。。。と今になって思う。

・・・そんな中学生時代の苦い想い出が残る海岸道路を走って私達が向かったのは、出雲崎町だ。

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出雲崎で車を降りたのは、良寛堂と呼ばれるお堂の前。
父は私をここへと連れてきたかったらしい。

良寛堂は良寛和尚(江戸時代後期)が子供時代を過ごした屋敷跡に建てられたお堂で、佐渡島を背景に日本海を借景として日本海に浮かぶ浮御堂(うきみどう)をイメージして建てられたという事だ。

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確かに背後には青い日本海が広がり、ちょっと素敵なロケーションだと思う。

父が私をここへ連れてきた理由。
それは、新潟の偉人である良寛和尚の事を知ってもらいたいため。

良寛和尚は多くの詩や唄を読み、独特な筆致でその内容を書き残していることで有名で、どうやら父や(もう他界した祖父)もそのファンのひとりの様だ。

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私が小学生の頃、祖父母の家の床の間には良寛和尚の全身像の置物が飾られていた。
(現在、その置物は父の手元にあり、実家の床の間に置かれている)

良寛和尚の絵姿を知らなかった小学生時代の私は、この置物を見て祖父はなんてハイカラなのだろうと感心していた。
あの当時、祖父の年代でSF映画に興味を持つとはなかなか珍しく、ましてそれがスターウォーズだなんて驚きで、祖父はどこでフィギュアを買ってきたのだろうか…と不思議に思っていた。

だって、正面から眺める良寛和尚は、私にはヨーダにしか見えなかったのだから。

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そんな訳で、この日の二つ目の訪問地は海岸沿いの良寛堂近くにある良寛記念館(入館料:大人300円)へ。

記念館内部の展示には良寛和尚の書があり、その一生を書いた年表もあったが、展示内容に私が感動を覚える様なものはなかった。
確かにその書には味があり、良寛和尚が語った言葉などは人生に迷った時に役立ちそうなものも多かったとは思うが、だから何?…と言うのが率直な感想だ。

ただ、展示を見たことで良寛和尚に対する見方は変わった。
子供の頃に読んだ郷土昔話の中での良寛和尚のイメージは、極貧の生活の中でも優しさや感謝を忘れずに皆の為だけを考えて生きた清貧のお爺ちゃん…という雰囲気だったのだが、記念館の年表を読んで脳内イメージを修正。

若いころから人気者だった良寛和尚の晩年は若い女性にもモテモテで、人生の最後は、お弟子さん的な40歳も年若い貞心尼さんに看取られて亡くなられたそうだ。
う~ん、もしかして良寛和尚ってかなりのPlay Boy だったのかも…しれない。

(写真:良寛和尚が生活した五合庵のレプリカ/良寛記念館)

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良寛記念館を出た車は、暫く海沿いを走る。

海から少しだけ内陸に入り込んだところで、何重もの有刺鉄線のようなモノが巻かれた高圧電流が流れる柵を発見。
始めはその厳重な警戒態勢に軍事基地かと思ったが、新潟にそんなものがある訳がないと気が付いた時点で、この柵が守ろうとしているものが何であるか気が付いた。

この柵の内側にあるのは、原子力発電所;柏崎刈羽原子力発電所だ。
実は、私は原発の存在を自分の目の前で直に見るのはこの日が初めて。

東日本大震災の時に津波に襲われ、今なお復旧作業が続く福島の原子力発電所。
人知を超えた災害では厳重な警備態勢下の原子力発電所だって、ひとたまりもないだろう。
大津波によりヒトの制御下から解き放たれた原子炉がどうなったかの記憶は、忘れることができない。

私たちの生活に電気は欠かせないから、原子力発電は日本では必要である…とされている。
でも、ドイツでは原子力発電からの離脱が始まっている。
ドイツでは出来るのに、日本では原子力を使わない電力供給が難しい?
それって、本当かな?
ドイツの様に原子力に依存しない電気…そんな電気供給システムが日本でもできれば良いのにね。

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柏崎市まで来たら、海岸線を離れて内陸へと舵を切る。

1時間弱のドライブで到着したのは、星峠。
一般的には【星峠の棚田】として知られている峠の上だ。

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星峠の棚田は日本の里100選にも選ばれた美しい棚田で、特に朝霧の時間帯は幻想的な光景が広がることで有名。

実は、我が両親はミーハーにも朝霧の立つ光景を見に来ようと当初は計画していたらしいのだが、4月末の十日町の山間の朝の気温は零度前後ということを前日に知り、道路の凍結を考えて諦めたらしい。

まだ雪だって残っているのに、凍った山道の運転は危ないよ。

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春の田植え前の棚田は、緑がない分、グリーン・シーズンよりも見劣りすると云われるが、星峠の場合はそうとも言い切れない。

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animoさん  2019/05/22 22:08

清津峡はインスタ映えスポットとしても名が知られていますが、自然そのものも美しく、夏や秋にはまた別の美しい顔を見せてくれると思います。

makoa187jpさん  2019/05/21 20:39

インスタ映えスポットとして、雑誌で紹介されているのを見ました。素晴らしいところですね。


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