海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP  > 旅スケTOP妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園の旅行記

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

モリソン書庫。そこは私にとっての阿片窟。薄暗い洞窟を想わせる室内に漂う年を経た本のみが纏う芳香。古い本が醸しだす妖気が支配する書庫の美しさに引きずり込まれ、沈没しそうになりました。 

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

1

2

3

4

次のページへ→
写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

今から160年ほど昔、オーストラリアの田舎町で男の子が誕生した。

彼の名は、ジョージ・アーネスト・モリソン(George Ernest Morrison)
少年時代から冒険が大好きだったジョージ少年は、大人になってもその興味の対象は変わらずに、世界各地の秘境を歩き、探検した。

モリソン青年は医師資格を持っていたのだが、医者としての仕事よりも彼を魅了したのは、世界各地を巡る特派員という仕事。

観察眼の鋭さから通信社タイムズの極東特派員に抜擢されたモリソンは、アジアに赴任。
着任後はアジア周辺地域の文化に魅了され、アジアだけではなく中東の国々の書籍を蒐集した。

《写真:モリソンの本コレクション:モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

モリソンが20年間のアジア滞在で集めた書籍は2万4千冊。

本を愛するがあまり、借金を重ねてでも欲しい本を手に入れていたモリソン。
痛んでいる本は自らの手で修復し、蒐集した全ての本をジャンルごとに分別し管理した。

モリソンの集めた本の中には世界的にも非常に貴重な書物もあり、モリソンが蒐集していなければ、現存していなかっただろうという書籍もあると言われている。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

モリソンが集めた2万冊以上のアジアに関連する莫大な書物。
それらは、今、何処にあるのか。

彼の存在の消滅と共に、霧散してしまったのか。

モリソンの書籍が現在、保管されているのは日本。
1917年に岩崎久彌(三菱財閥3代目総帥)がモリソンの書籍コレクションを買い取り、大切に保管し、その書籍を収めた本棚はモリソン書庫;《東洋一美しい書棚》と呼ばれている。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

“タブレットで読む文章は、本ではない!”
“本はページを1頁ずつ指でめくる楽しみがあるからこそ、ワクワクする!”
“本に囲まれているだけで幸せ感が増大!”
“図書館の本の匂い(実はホコリとカビの匂い)に包まれると心が落ち着く!”

と常々、思っている私にとって、モリソン書庫は阿片窟の様な場所。
一度、足を踏み込んだら、抜け出すことのできない本で埋め尽くされた底なし沼。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

そんな阿片窟;モリソン文庫があるのが、東洋文庫ミュージアム。
写真撮影OKな本の美術館だ。

ミュージアムがあるのは東京都文京区の駒込。
駒込駅からも10分も歩かない、日本庭園で有名な六義園のすぐ側にある。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

東洋文庫ミュージアムにあるモリソン書庫。
その書棚は、地域をベースに展示してある。

モリソンが本を蒐集し、修復していたのは100年も前の話。
本はその背表紙も頁も傷んできてはいるが、ミュージアムの修復の担当者の方が、丁寧に装丁を直し、当時の姿を維持している。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

モリソンが集めた2万4千冊の貴重な書籍。
これらの本が岩崎氏に買い取られた1917年から現代まで、ほとんど損なわれることなく存在していたのは、奇跡に近い。

この100年の間には関東大震災があり、そのときに関東一円は焼け野原となった。
そして、その後の第二次世界大戦における東京空襲。

震災や空襲時の火事で、本が書庫ごと焼失してしまう可能性もあった。
また、英語の書物が多かったので、戦時中は検閲により没収され本の存在が消されてしまう可能性もあった。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

しかし、運はモリソンの書籍に味方した。

関東大震災時に本を保存してあったのは、当時、未だ数の少ない鉄筋コンクリートの建物の中。
木造家屋が次々と崩壊していく中で、本はほとんど無傷で残った。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

英語は敵性語とされたとされた第二次世界大戦である太平洋戦争時代。

本は子供達と共に田舎へと疎開し、空襲による焼失の難を逃れた。

そして、それらの本は、今、東洋文庫ミュージアム内に東洋一美しい本棚;モリソン書庫として、その圧倒的な存在の妖艶さで私たちを魅了している。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

東洋文庫ミュージアムのモリソン書庫の本は、手を触れることはできない。

基本は本が並んでいるのを見るだけなのだが、いくつかの貴重な本を本棚下段のショーケースの中で見ることができる。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

その中の1冊が英国人の23歳の女性旅行家Isabella Birdが1878年に東京から蝦夷(現在の北海道)までを一人で探検した記録でタイトルはUnbeaten Tracks in Japan。
当時の人々の服装などが挿絵入りで説明してある。

1878年は明治の初め頃。
日本では女性はおろか一般的な男性労働者には選挙権すらなく、選挙権があったのは一定以上の税金を納めることのできる金持ちだけ・・・という時代。

その時代に外国人の23歳の女性が一人で北日本を旅して、その記録が書物として残されている。

《写真 モリソン書庫》

写真を拡大する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園

400年以上前の1582年に記された本も展示してあった。
書かれている内容は、九州のキリシタン大名がローマ法王(教皇)への謁見の為に派遣した少年使節団の様子で、天正遣欧使節団がローマに到着して法王に会い、リスボンに抜けるまでの様子が日記のように事細かに記されている。

言語は古語の英語かと思いきや、多分、イタリア語。
でも、今のイタリア語よりもかなり古い言語で、何が書いてあるのか全然分からなかった。

《写真 モリソン書庫》

1

2

3

4

次のページへ→
拍手する お気に入りの旅スケに追加 通報する

妖香漂うアヘン窟《東洋一華麗な書棚:モリソン書庫》& 雪吊の六義園へのコメント


※コメントの投稿にはログインが必要です

メモ

・東洋文庫ミュージアム 900円
 (JAF会員証で100円引き)
 (六義園とのコラボチケットあり)

・旧古河庭園 150円
 (六義園とのコラボチケットあり)

・六義園 300円
 (旧古河庭園とのコラボチケットあり)

・巣鴨のイタリアン Pastaio Labo ランチ 2500円

・東洋文庫ミュージアムカフェ 680円

新着スケジュール