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青い家の記憶 -Viva la Vida- フリーダの世界

フリーダ・カーロ。彼女は子供の頃にバス事故で体を鉄柱で串刺しにされる事故に会い、そこから不屈の精神で不死鳥のように復活しそして燃え尽きた人物。その心に触れてきました。

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中南米の遺跡にしか興味を持っていなかった私。
そんな私が、メキシコという国の歴史や政治的背景に大きな興味を持つようになったのは、1人の女性画家の一生を描いた映画【Frida】を見てからのことです。

映画の主人公となった女性の名前は、Frida Kahlo(フリーダ・カーロ)。
ハンガリー系ユダヤ人の父とメキシコ人の母の間に生まれたフリーダは、幼いころから利発な少女であり、医師を目指して勉強していました。

毎日の学校での生活は彼女にとって将来への足がかり。
その頃のメキシコでの女性はまだ社会的な地位が低く、フリーダが入学した頃は2000人の学生の内、女学生は30人しか居ませんでしたが、そんな中でフリーダはメキメキと頭角を現し、将来の女性医師への道が約束されていたそうです。

しかし彼女の夢はある日、潰えました。
学校帰りにいつもの電車に乗った18歳のフリーダ。
その彼女を襲ったのは、通学電車の衝突事故。

電車は横転し、亡くなった方もいました。
衝突の衝撃で車内に投げ出されたフリーダは一命を取り留めましたが、事故で意識を失ってしまったのが幸いともいえる状況が彼女を襲いました。

電車はまるで巨人が握り潰した紙箱の様にクシャリとひしゃげ、折れた金属製の手摺が槍となりフリーダの子宮を貫通し、脊髄、骨盤の損傷、足の骨折などの瀕死の重傷を負いました。
鉄棒が背骨と床面を貫き、電車の床に虫ピンで留められた蝶の標本の如く横たわるフリーダを救出した誰もが彼女の命は長くはないと思いましたが、フリーダの野生を思わせる生命力はそこで途切れることはなく彼女を生かし続けました。

学校は退学せざるを得なく、また、医師になる夢も諦めざるを得ませんでしたが、リハビリのために手にした絵筆がフリーダのその後の人生を大きく変えました。

メキシコの巨匠画家であるディエゴ・リベラとの結婚と離婚、そして再婚。
メキシコの女性画家としての初めてのパリでの展覧会。
性を超えた愛の交歓。

当時のメキシコ女性としてはフリーダの生き方は一般的とは言えなく、世間からはいつも一線を引かれていたフリーダ。

フリーダの人生は波乱に富んでいましたが、彼女の心の原点は母の生まれ故郷であるオアハカ地方の大地。
フリーダはオアハカ地方の郷土衣装を着用し、現地の女性の様に眉がつながった伝統的な化粧方法を好みました。

しかし、そんなフリーダの一生は緩慢な衰弱。
事故の後遺症は彼女を蝕み、折れた背骨の代わりに背中に埋め込まれた鉄の棒は一生に渡り骨髄炎の痛みを彼女に与え続け、47歳を迎えた月に肺血栓症のため自宅で亡くなりました。

事故によって壊されたフリーダの夢。
激動の時代であったメキシコを生きたフリーダ。
そんな彼女の一生を描き出した映画は私の心を鷲掴みにし、いつかメキシコに行くことがあれば青い家と呼ばれるフリーダ・カーロ博物館へと行ってみたいと思うようになりました。

メキシコ一人旅で、フリーダの息遣いを肌で感じ、その不思議な世界感に浸ってきました。

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オアハカでの滞在は1泊2日しかなかったが、その密度は2泊3日をギュッと濃縮したような感じ。
パレンケからの夜行バス(通称:強盗ライン)でオアハカに到着した昨日は、宿に荷物を預けモンテアルバン遺跡へと向かい、夕方からはオアハカの町散策。
そしてこの日はオアハカ発の1日バスツアーに参加して、時を止めた石の滝であるイエルベ エルアグア(Hierve el Agua)へと足を向け、オアハカに帰着後はツアー中に仲良くなったカナダ人の女性と町を歩いて屋台のタコスを夕食にした。

普通ならば、1日たっぷり遊んで疲れたのでこの後は宿に戻りぐっすりと寝た・・・となるところだろうが、私の場合はもう少し強行軍で夜の11時過ぎに私が居たのは、オアハカの町はずれにあるバスターミナル(宿であるFlorida Oaxacaからのタクシーは50ペソ(約400円))。

バスターミナルは深夜帯に入ろうかという時間だったが、バス待ちの乗客で大混雑していた。

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此処オアハカからメキシコシティまでは、夜行バスでの移動となる。

メキシコの夜行バスには2日前の夜にも乗車していて、その時の路線はかつて強盗バスと呼ばれたメキシコの中でもかなり危険度の高いバスだったのだが、今晩の夜行バスは比較的安全な路線だ。

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また、この夜のバスは旅の終盤の夜行バスだったので疲れが出ているだろうことも予想出来ていたため、一等よりもひとつ上のクラスの特等(Primera Clase)を予約しておいた。

メキシコの長距離バスは運行会社にもよるのだがバスのランク分けがあり、2等、1等、特等と分かれていることが多い。
2日前に乗った夜行バスは二等しかない路線の為、ローカルな人達がその乗客の殆どを占めていたが、今回のオアハカ-メキシコシティ路線は2等から特等まで時間帯によって分かれていたので、敢て少し割高の特等でチケットを購入した。

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特等バスは運賃が2等の2倍、1等の1.3倍程度なのでローカルな人達の利用は少なく、バスの車内は空いていることが多く、隣に他の人が座ることは少ない・・・と聞いていた。
夜行バスでの夜間移動は、座席で安心してゆっくりと眠れるかどうかが大きなポイント。

だから多少高くても安心感と快適性を買ってみたのだが…、噂通り車内はガラガラで乗客の殆どは欧米からの旅行者かメキシコ人の出張者といった方々。
熟睡とは行かないが、安心感と共に眠ることが出来た。

オアハカ出発が23:15で乗車時間は約7時間。
翌朝の6時前にバスは、メキシコシティのバスターミナルTAPOに到着した。
朝6時のメキシコシティはまだ真っ暗で、その中を女性がバスや地下鉄で移動するのは危険極まりない為、ここからホテルまでの移動はタクシー利用。
メキシコは流しのタクシーは安いが、空港やバスターミナルで待機しているタクシーはゾーンごとの定額料金であるため、かなり割り高で乗車時間は15分も乗っていないのにバスターミナルTAPOから空港近くのホテルRAMADA AEROPUERTO MEXICO(ホテル ラマダ・アエロプエルト)までの料金は298ペソ(約2400円)。

ホテルではフロントで荷物を預かってもらい、トイレで着替えをして顔を洗い、身支度を整える。

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朝8時。
外が明るくなるのを待って、行動開始。
ラマダ・アエロプエルトは空港近く(徒歩15分)なので、最寄りの地下鉄駅も空港駅(Terminal Aerea)となる。
陸橋を渡ると、空港に駐機している飛行機の姿。

明日のこの時間には、私はもう機上の人。
メキシコでの旅の日も、この日が最後だ。

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地下鉄駅の近くの屋台のパン屋さんで、焼き立てパンを朝食代わりに購入。
メキシコは空港からのタクシー代など旅行者に対する物価はそれほど安くはないが、住んでいる人達のお買い物は場所を選べば、かなりお安くできる。

屋台のパンとグツグツと煮込んだ野菜たっぷりのスープをお願いして20ペソ(約160円)。
12月末のメキシコシティの天気は、昼間は半袖でもOKな気温となるが朝晩はぐっと冷え込みでダウンジャケットがあっても良いほどの気温。
そんな朝には、具だくさんのスープは冷え切った躰を温めてくれるベストアイテム。
購入したパンもスープも美味しかったが、パンの糖度が日本のメロンパン並みに甘かった。

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メキシコの地下鉄のシステムは利用者に優しく、5ペソの切符を1枚買い駅の改札を潜ったら、どの位の距離を乗車しても料金は変わらない。
ただ、一度改札を出てしまったら、その切符はお終いとなるが、5ペソ(約40円)でどこまでも乗り継げるのは嬉しいシステムだ。

切符販売は窓口だけで、切符の自販機は置いてなかった。
個人的には自販機の方が人件費が省けると思うのだが、雇用の確保の為なのかな。

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切符販売が有人窓口オンリーなのに対して、改札はほぼすべての駅で自動改札。
このギャップが面白い。

改札のところには警備員さんが目を光らせていたのだが、駅員ではないというところが若干、治安の悪さを物語っているのだろうか。

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地下鉄の車内が空いている!と思っていたら、空いていたのはターミナル駅までの路線だけで、その先は東京の朝の満員列車も顔負けないくらいの混み方。

東洋人の中でも大きくはない私は、見事にメキシコ人の乗客の間にサンドイッチとなり、車両内の駅名の案内電光掲示板も車窓の駅名も全く見えない状態に陥ってしまった。

でも、そこは優しいメキシコの人達。
手にガイドブックの地図を握りしめた明らかに旅行者と分かる東洋人女子を放ってはおかない。
何処に行きたいのか、どこで降りたいのかを私に聞き、乗換駅の時には一駅前で教えてくれて、更に乗り換えに便利な階段の方向まで指示してくれた。

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そして、空港前の駅を8時15分に出発した私はメトロ3号線のCoyoacan(コヨアカン)駅に無事到着した。

この日の最初の目的地は、映画を見てから来たいと思い続けていたフリーダ・カーロ博物館。
フリーダとその夫ディエゴが生活した家で壁全体が青く塗られているため、通称:青い家と呼ばれる場所だ。
駅からは目的地であるフリーダ・カーロ博物館である青い家へと徒歩で向かったのだが、道が分かりにくく散々道に迷い、通りすがりの人に方向を確認したのは3回では済まなかった。

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ようやく目的地の青い家に到着したのは予定時間の倍以上の35分後。

開館時間は10時で博物館の開館までにはまだ30分以上ある筈なのに、通りの向こう側にある青い家の周りにはとても沢山の人の気配。

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メモ

【航空券】 
エア・カナダ + エア・ルージュ 往復 127700円
インタージェット(メキシコ国内線)片道 15486円

【ホテル】 
メキシコシティ空港:メキシコシティ ラマダ 11934円

【現地で使ったお金】
遺跡入場料・タクシー代・長距離バス代・食事代・現地日帰りツアー代などで74000円。

総計、約25万円

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