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塩の街-ソドムとゴモラ 〔だから私は救われたい/角川武蔵野ミュージアム〕
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その昔、キリストがこの世に生誕するよりも更に昔のお話です。
まだ地球が球であるとも知られていない頃、ソドムとゴモラと呼ばれる二つの町がありました。
ソドムとゴモラで暮らす人々は自由奔放な生き方を好み、肉の欲にふける自堕落な日々を送っていました。
そして、この時代、天上には神と呼ばれる存在があり、神が創造した人間という生き物の生態を観察していました。
神は天使を地上に送り、ソドムとゴモラの人々に正しくまっとうな生活を教えようとしましたが、一度快楽の悦を知り、墜ちてしまったヒトの魂は簡単には元に戻りません。
神は魂の救済を諦め、自分たちの失敗作であるこの二つの町とヒトを雷と硫黄による業火で無かったことにすることにしました。
天の炎で舐め尽くされ、全てが燃え尽きたソドムのゴモラの町跡。
火が消えたその場所。
そこには町があった形跡は何もなく、炎で浄化された純白の塩だけが一面を覆い尽くしていたそうです。
ソドムとゴモラの業火から数千年を経た現代、塩と化した町跡は湖の底へと沈み、その湖は”死の水”;死海と呼ばれています。
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2021年2月。
興味本位で訪れたとある場所で、予想外のものに出会った。
それは、モノトーンの世界。
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私がこのモノトーンWorldへと足を運んだ理由はこの彫刻を見るのが第一目的ではなく、たまたま、訪れたこの場所で開催していたエキシビションに出会ってしまっただけだ。
しかし、私の足は吸い付けられるようにこの白い彫刻群へと動き、その前で停止してしまった。
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静かに佇む白い彫刻のタイトルは、〔The Last Supper 最後の晩餐〕。
確かに、その姿はダビンチ等の描く古典的な<最後の晩餐>を立体化したかのような彫刻だ。
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最後の晩餐を形作るのは一見するとその素材は石膏のようにも見えるが、然にあらず。
その素材は私達にも馴染みの深いミネラルである、塩だ。
なぜ、この彫刻は塩から作られているのか。
そのメッセージ性の強さに気がついた時に、ガツンと打たれた気がした。
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純白の塩で最後の晩餐の場面を表現する意味は、タダの遊び心ではない。
〔The Last Supper〕の作者はオーストラリアのアーティストのJulia Yonetaniさん。
彼女は環境破壊や気候変動などをテーマに創作活動を行っていて、この〔The Last Supper〕は大規模農園開発による過度の灌漑で農地の地下水の塩分濃度が高くなり、更に近年の温暖化の影響で農地の地表にも塩害の被害が出てきているところからインスピレーションを得た作品だということだ。
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オーストラリアの砂漠地帯では、農地への塩の影響を最小限にとどめる為に塩分が強い地下水をくみ上げ、農業用水を少しでも真水に近い状態に保つ作業が行われており、その汲み上げた塩水を精製した塩(つまり産業廃棄物)から作られたのが、この最後の晩餐の作品だ。
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ジュリアさんの作品は、真っ正面から切り込めば、環境問題の原因となる塩水を二次利用したアート作品という話で終わってしまうが、斜めから見たらどうなのか。
もし、砂漠地帯の大規模な灌漑農業でもっともっと多くの真水が必要になり、更に地下空洞の塩水をどんどん汲み上げていったら、いったい何がおこるのか。
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いずれ、その土地の地下空洞の塩水がなくなり、洞窟を支えた水を失った空間は陥没し、塩をふく大きな穴となるのかもしれない。
そう、旧約聖書に出てくるソドムとゴモラの町の最後の姿のような・・・。
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そして、その土地に生きていた植物、果物、池の魚、ヒトまでもが全て真っ白な塩で覆われてしまうのかもしれない。
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Juliaさんの作品は、見ている私達に色々なことを考えさせる。
この作品の前に立ち尽くすヒトも多くいて、私も実はその一人。
塩のアートを見ていた私の脳裏に作品とオーバーラップするように浮かんできたのが、有川浩さんの小説である“塩の街”の描写で、本の中では、宇宙からの侵略無機物である“塩”により東京湾が征服され、人間はその躰を侵略体に乗っ取られてしまう。
今回の作品のテーマはそんな宇宙戦争のような話ではないが、でも、人間が自然界へと負荷をかけ、その自然が牙を私達に向ける世界があるならば、こんな彫刻のような世界もあり得てしまうのかもしれない。
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Juliaさんの作品は他にもあり、展示室の奥に見えるのは〔Disbioteca-Deer〕。
Disbiotecaとは造語で、腸内細菌叢のバランス崩壊を示すDisbiosisから作られた言葉だそうだ。
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