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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

13年前のポルトガル1人旅最終編。移動が課題のドタバタ旅。2021年にして分かった事を補足中です。

☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

ロシオ駅

★ ☆☆哀愁のポルトガル1人旅☆☆② ポルト、コインブラ、リスボン編
https://tabisuke.arukikata.co.jp/album/30289/
の続編になります。

(写真) 8:32 ロシオ駅

The Seventh Day (3月31日 月)
リスボン→シントラ→ロカ岬→カスカイス→リスボン 
シントラ、ロカ岬、カスカイス観光 ☼ リスボン泊

6:30 起床。7:30 朝食。早い電車に乗るつもりが当初の予定通りの8:51 Rossio発となった。Cascais・Sintra Train & Bus travelcard、€12をロシオ駅で求める。カード又使えない。

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ロシオ駅

(写真) 8:44 シントラ行き電車

この写真を撮っていると男性駅員に”No picture.”と言われた。
9:30シントラ駅着。 バス乗り場を捜していると「歩き方」を持つ若い日本人女性Aさんに出会う。彼女と行動を共にすることになる。

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ムーア人の城跡

(写真) 10:30  シントラの町並みと緑
旗の立っている所は MOORISH CASTLEのリーフレットに依ればCastle Keep(/本丸)で
Residence of the Alcaide, the military governor of the fortress during the Muslim period. It was the stately part, designed to be the last redoubt able to withstand and attack from within or without. (/ イスラム時代の要塞の総督、城主の住まい。邸宅は、内外からの攻撃に 耐え得る最後の砦として設計されていた。⦅私訳⦆)

9:50 #434バス乗車。ムーアの城跡下車。
10時頃ムーア城壁、ペーナ宮共通券をカードで求める。€11。
私にはハイキングと言うより登山。ご褒美の絶景!! 創造の翼を広げてお楽しみ下さい。

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ムーア人の城跡

(写真) 10:56  Aさんに撮って貰いました。モデルがよければお披露目したいのですが。
万里の長城みたいでしょ。

★リーフレットに依れば MOORISH CASTLE(/ムーアの城壁)は
Military fort believed to date back to the 9th century and the period of the Arab occupation. It served as an excellent observation post for monitoring the coast-line. (/ 軍事要塞で9世紀、アラブ人支配時代に遡るものと信じられている。海岸線を見張る、優れた監視所の役割を果たしていた。⦅私訳⦆)

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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

ぺーナ宮殿

(写真) 11:39 ノイシュバンシュタイン城の雰囲気に似ている筈。ペーナ宮の建築を命じたのはルートビッヒ2世の従兄弟のフェルディナンド2世。1885年に完成。

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ぺーナ宮殿

(写真) 11:41 門の上にある悪魔のような彫刻。 まるでディズニーランドのよう。

ネット検索でこの門はトリトンの門で、彫刻はトリトンで、この宮殿の守り神と判明。
*https://www.sintra-portugal.com/Attractions/palacio-pena-palace-sintra.htm
http://mugifumi.starfree.jp/portugal015.html
https://4travel.jp/travelogue/10914864
グーグルマップにもThe Triton Entranceとありました(>_<)

★人間の上半身と魚の下半身を持つギリシャ神話の海神、トリトン。
この門のトリトンは大きな貝殻の上に座り、髪の毛は木の根のようになっていて、両手で木の根幹を持ち、上部の物を持ち上げているように見えます。蔓で区切られる上は陸の世界(ブドウの実、葉、蔓で飾られています)下部分の壁には海の世界(海藻、珊瑚、貝、ロープで飾られている)、となっています。あたかもトリトンが陸と海の両方の世界を支配しているような感じです。
下記Parques de Sintraのサイトでは、Luís Camões『ウズ・ルジアダス』詩編IVが引用され、そこに描かれるキャラクターを思い起こさせると説明されています。*https://www.parquesdesintra.pt/en/parks-monuments/park-and-national-palace-of-pena/points-of-interest/triton-s-terrace/
★地元のトリトンの伝説とフェルディナンド2世
ところがJay Costa Owenさんが下記サイトで2020/07/29に興味深い事を書いています。
*https://www.portugalresident.com/pena-palace-the-triton-gateway/
芸術家フェルディナンド2世がトリトンの門を構築する際、Luís Camõesからより、Damião de Góisにより大きく触発されたのではと述べています。
荒波が岩で砕ける度に大きな音を出す洞穴に昔トリトンが住み、そこでトリトンが貝を吹く姿が見かけられたという伝説があります。
又Damião de Góis(作家)も、村人の間でトリトンの子孫と信じられていた男の人魚が海岸に住んでいた、言い伝えを書いています。その人魚達は徐々に陸に住むのに慣れ、村人と同化していったそうです。
フェルディナンド2世はトリトンの門を陸と海を結びつける寓話の世界の創造としてデザインした。むしろこちらのほうが、大航海時代のポルトガルの偉業に貢献するのではないかとJay Costa Owenさんは(パッピーの要約ですので間違っていたらお許し(>_<) )
フェルディナンド2世に聞いて見なければ真偽は分かりませんが(^_-)-☆
再訪して繊細な装飾を有難く鑑賞したい。

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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

ぺーナ宮殿

(写真) 11:48  ペーナ宮殿より
ムーアの城跡の向こうには大西洋が!スケールの大きさに鳥肌立ちました。こちらも創造の翼を広げてお楽しみ下さい。

暑かった。ホテル自販で買って来たミネラルウォーター飲み尽くし、ペーナ宮コーヒーショップで1本€1でゲット。

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王宮

(左写真) 13:11 白鳥の間の天井画。
27羽の白鳥のポーズがそれぞれ違う。*「地球の歩き方2019~20ポルトガル」(以降は「地球の歩き方」とする)p.144
(右写真)13:19 水浴び洞窟の壁。

13:10 王宮着。入場料€5。
★Palácio Nacional de Sintra (/王宮)
イスラム教徒が残した建物をディニス王が居城とし、14世紀にはジョアン1世が増改築を行った。その後もマヌエル1世の時代に増築が行われた。*「地球の歩き方」p.144
1584年この王宮に天正遣欧少年使節の4人が招かれた。*Wikipedia

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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

王宮

(写真) 13:22 Dom Sébastien(/ドン・セバスティアン)の部屋

★ドン・セバスティアン(1554年1月20日 - 1578年8月4日)
王位継承者の父ジョアンの死の18日後に生まれる。彼が生まれなければポルトガル帝国アヴィス王朝の存続が保証されなかったので、彼の誕生は国民から待ち望まれていた。よって「待望王」と呼ばれた。
祖父ジョアン3世の死後3歳で即位。幼少時より戦争、宗教に異常な熱意を示した。ジョアン3世が撤退させた北アフリカ諸都市奪回を目指す。モロッコ、アルカセル・キビールの戦いでポルトガル戦史上最大の敗北を喫し、24歳で戦死。
*金七紀男著「図説ポルトガルの歴史」pp. 53-54

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王宮

(写真) 13:31 紋章の間の天井画

★紋章の間は、16世紀マヌエル1世が建設を命じたAla Manuelina(/マヌエルウイング)にある。天井はポルトガル貴族と自分の計72の紋章で飾られている。*Wikipedia 壁は(実は覚えていないのですが)狩猟の光景を描いたアズレージョで飾られている。*「地球の歩き方」p.144

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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

王宮

(写真) 13:45 マヌエル様式広間
現在でも充分に快適に暮らせそうな豪華な造り。写真を沢山撮りたかったが、カードが足りなくなるので断念。
バスの本数が少なく先を急いだので、ランチ取らず。

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☆哀愁のポルトガル1人旅☆③ シントラ、ロカ岬、エボラ、アムス運河クルーズ編

ロカ岬

(写真) 14:56 ロカ岬 大西洋の大海原が眼下に広がる

14:10 シントラ駅発 403番バスでロカ岬に向かう。

★ロカ岬は世界平和に捧げられた地
ロカ岬は、Sri Chinmoy Peace-Blossoms programme (/シュリ・チンモイ 平和の花 プログラム)を通し、1989年以来世界平和に捧げられた、世界の800の場所の1つだそうです。 *TOURIST INFORMATION SINTRA発行のCabo da Rocaリーフレット
ネット検索すると、シュリ・チンモイの平和の花の記念プレートがあったようですが、全く覚えていません。

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メモ

表紙写真
左上 シントラ ペーナ宮殿
右上 ロカ岬
左下 エヴォラ 水道橋
右下 アムステルダム運河クルーズ

予算は
https://tabisuke.arukikata.co.jp/schedule/86060/
をご覧下さい。

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