海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP  > 旅スケTOP奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里の旅行記

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

「ひのとり」に乗ってカニを食べる

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

1

2

3

4

次のページへ→
写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

近鉄名古屋駅/名古屋線

2021.10.15
はじめての「ひのとり」乗車です。
深い艶感のあるメタリックレッドが高級感あふれ、カッコよいですねぇ。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

近鉄名古屋駅/名古屋線

2021.10.15
スライドさせるリクライニングなので、後ろの方に気兼ねすることなく利用できます。
これはうれしいです。
電源、Wi-Fiの利用もうれしいです。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

西紀サービスエリア

2021.10.15
上本町駅でバスに乗り換え、出石に向かいます。
関西も快晴でとても気持ちの良い日になりました。
途中、篠山市の西紀で休憩。
売店は前面的に黒豆押しです。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
辰鼓楼・・・出石のシンボルのようなものですね。
明治4年(1871)旧三の丸大手門脇の櫓台に、時刻を知らせる太鼓を叩く櫓として建設されました。
明治14年に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、日本で2番目に古い時計台として親しまれています。
ちなみに一番は札幌の時計台だそうです。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
出石城址・・・慶長9年(1604年)、小出吉英(こいでよしふさ)によって有子山の麓に築かれたお城です。
出石城の築城とともに城下町が整備され、出石の町並みが形成されました。
小出氏、松平氏、仙石氏と城主を代えながら、明治の版籍奉還まで270年間にわたって、五万八千石の本城として威容を誇りました。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
城の造りは梯郭式。山麓の上から稲荷郭、本丸、二の丸、下郭、三の丸の順に、梯子を立てかけたように城が築かれています。
明治の廃城令によって建物は全て取り壊されましたが、野面積みの見事な石垣がそのまま残るほか、隅櫓や登城門、登城橋などが復元されており、往時の面影を偲ぶことができます。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
大手前通り・・・出石の名物は出石蕎麦。
通り沿いにもお蕎麦屋さんがたくさんあります。
江戸時代中期の宝永3年(1706年)に出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏(仙石政明)がお国替えとなりました。
その際、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生しました。
現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で出す時に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まったと言われています。
その後、出石焼きが始まり白地の小皿に盛る様式が確立されました。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
出石のある豊岡市はコウノトリでも有名です。
一度は日本の空から姿を消したコウノトリ。
最後の生息地だった豊岡では、半世紀以上にわたりコウノトリの「いのち」を育む取組みが行われ、今では野外に100羽以上のコウノトリが暮らしています。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
禁門の変に敗れ朝敵となった桂小五郎は、出石の町人甚助直藏兄弟の助けを経て出石町内各所にかくまわれていました。
当家は荒物屋を営んでいた跡です。愛人幾松も訪れています。潜居9ヶ月、九死に一生を得た小五郎はやがて回天の大業を成し遂げ木戸孝允と名を改め、維新の三傑と仰がれましたが、この出石こそ桂小五郎の再生の地となったのです。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

出石の町並み

2021.10.15
おりゅう灯籠・・・今から七百年ほど前、出石川は町のまん中を流れ、大きな船が往来して、毎日賑わっていました。そのころ、出石のある豪族の屋敷には若い侍が暮らしていました。彼は書を学び、武術を練習し、たくましい青年に育っていきました。
この屋敷には、おりゅうという心も顔かたちも美しい娘が奉公していました。お互いに惹かれ合う二人は、恋に落ちました。しかし、身分の違いはその恋を実らすことを阻みました。
おりゅうは里に帰されました。そんな時、日本に蒙古軍が攻め込んできました。武術に優れた若い侍は九州の防衛のために、あわただしく旅立っていきました。愛する彼の出征を聞いたおりゅうは船着き場に走りました。しかし、彼をのせた船は見る見る遠ざかってしまいました。
それから数ヶ月後、彼の戦死の報が屋敷にもたらされました。おりゅうの体が出石川に浮いたのは、その数日後でした。
以後、大雨のたびに出石川は氾濫します。人々は、これはおりゅうの悲しみの現れだと語り合いました。そして、これを鎮めるために、船着き場にほこらを建てて供養し、そのそばには灯籠も建てました。その灯は、上り下りする船の船頭たちの道しるべになり、「おりゅう灯籠」とよばれるようになりました。今も、出石川の橋のたもとに、おりゅう灯籠が建っています。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

玄武洞

2021.10.15
国の天然記念物「玄武洞」。
160万年前に行われた火山活動により山頂から流れ出したマグマが、冷えて固まる時に作り出した規則正しいきれいな割れ目が玄武洞です。
そして、約6000年前、波に洗われてその姿を現しましたが、人が石を採取したため洞となりました。
六角形の無数の玄武岩が積み上げられた不思議な美しさは、今日も人々を惹きつけています。

写真を拡大する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里

玄武洞

2021.10.15
江戸時代の文化4年(1807年)6月25日、幕府の儒官、柴野栗山が「玄武洞」と命名しました。
明治17年(1884年)には、岩石の日本名を定めるとき、東京大学の小藤文次郎博士が玄武洞の名を用いて“玄武岩”と命名したため、今日でも玄武岩と呼ばれています。
大正15年(1931年)には、京都大学の松山基範博士が、玄武洞の石の磁性の方向が、今と反対の南を向くことを発見。地球科学の新しい扉を開きました。
昭和6年(1931年)2月20日に、「玄武洞」は国の天然記念物に指定され、周辺地域一帯は、昭和38年(1963年)に山陰海岸国立公園となり、現在に至っています。

1

2

3

4

次のページへ→
拍手する お気に入りの旅スケに追加 通報する

奥城崎温泉で味わう「旬の香住蟹会席」と天橋立・出石・美山かやぶきの里へのコメント


※コメントの投稿にはログインが必要です

近くの旅行記

山形発 伊勢・熊野旅 ~レンタカー・タクシーなしでパワースポットめぐり~ 2013年初詣は伊勢神宮 節分の奈良 4つの行事を見学 GoToトラベル 伊勢神宮 ゴールデンウィーク 子連れで城崎プチ旅行 GWに行く!出石そばとたんとうチューリップまつり日帰り旅
山形発 伊勢・… 2013年初詣… 節分の奈良 4… GoToトラベ… ゴールデンウィ… GWに行く!出…

新着スケジュール