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古代出雲の王墓「よすみ」と伯耆を代表する弥生遺跡・妻木晩田遺跡

四隅突出型墳丘墓に代表される独自の文化を生み出した山陰を巡る

古代出雲の王墓「よすみ」と伯耆を代表する弥生遺跡・妻木晩田遺跡
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古代出雲の王墓「よすみ」と伯耆を代表する弥生遺跡・妻木晩田遺跡

1日目 2021年11月06日(土)
08:20 ターミナル・駅のりば

名古屋駅/東海道新幹線

集合 中央コンコース
08:47 移動(電車)

移動(電車)

新幹線のぞみ9号・16号車 広島到着前に10分ほど緊急停車のため遅延
11:20 ターミナル・駅のりば

広島駅/山陽新幹線

移動(バス)

移動(バス)

- 13:20 建物・史跡

三ツ城古墳

「三ツ城古墳」は、5世紀の前半ごろから築造された広島県下最大の古墳。全長約92m,前方部幅約67m,高さ約11m,後円部径約62m,高さ約13mで,後円部の背後に径25mの円墳1基(第2号古墳),第2号古墳の周構内に径8×4mの墳丘をもつ第3号古墳がある。 第1号古墳の墳丘は葺石(ふきいし)で覆われ,埴輪を3段にわたって巡らし,東西に造出しがある。後円部頂部には槨(かく)を有する箱式石棺2基,箱式石棺1基の埋葬施設があり,鏡,鉄器(刀・剣・鏃(ぞく)など),銅釧(どうくしろ),櫛,玉類(勾玉・管玉・棗玉(なつめだま)など)が出土した。埴輪には円筒のほか家形・短甲・鶏などがあり,造出しから土師器,須恵器類が出土した。古墳時代中期(5世紀)に築かれた古墳と考えられ,安芸国最大の規模からすると,安芸国を統一する首長の出現を示すものと言える。
移動(バス)

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- 15:55 美術館・博物館

みよし風土記の丘ミュージアム

広島県は,海の交通路瀬戸内海のほぼ中央にあります。  今日の生活文化は,この回廊を通じて入ってきた大陸・北部九州や近畿地方の新しい文化や,中国山地のたたら製鉄を仲介とする山陰地方の文化などの影響を受けながら形作られてきました。  歴史民俗資料館は,そうした歴史的風土を背景に,現在まで伝わってきた多くの歴史・考古・民俗の資料を収集・調査・研究・保存し,より多くの人々に展示活動や教育普及活動によって公開しようとするものです。  常設展示室では,常設展「ひろしまの原始・古代」を展示しています。 広島県矢谷古墳出土品収蔵。
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- 16:32 建物・史跡

矢谷古墳

形は,山陰地方に多い四隅突出型墳丘墓を二つ合わせた形で,見かけ上は前方後方形です。墳丘は斜面に石を貼付け,墳裾は石を立て並べた石列で区画し,周囲に溝をめぐらせてます。全長18.5m溝の部分まで含めると22.6mあり,中国山地の弥生時代後期の墳丘墓としては最大規模です。墳丘上の埋葬施設は11基発見されており,規模の大きな中心埋葬施設から碧玉製管玉5,ガラス製小玉3が,その他の埋葬施設から鉄製ヤリガンナ1,鉄製刀子(小刀)片2が出土してます。また,この墳丘墓の隣で発見した同時代の墓からは,ローマ帝国産のガラスで作られた小玉3が出土してます。土器は,中心埋葬施設の上から山陰地方に特有の鼓形器台や低脚杯,注口付壺などが,墳丘の周囲からは吉備地方の特殊器台,特殊壺が出土しています。これらから,矢谷墳丘墓に埋葬された人たちが,中国山地の中継地の三次盆地の地の利を生かして外交を行っていたと推定されます。
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18:30 宿泊施設

グリーンリッチホテル出雲

19:00 食事

食事

2日目 2021年11月07日(日)
06:00 食事

食事

08:00 宿泊施設

グリーンリッチホテル出雲

出発
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08:20 - 09:00 自然

稲佐の浜

出雲大社の西方1kmにある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。また、この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。
09:15 - 10:15 美術館・博物館

島根県立古代出雲歴史博物館

2007年3月10日に出雲大社の東隣に開館した。主に出雲大社を中心とした古代出雲についての展示を行っており、常設展示はテーマ別展示室、神話展示室、総合展示室に分かれている。主な展示物としては、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現したという10分の1の模型などがある。総合展示室には、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示がある。このほか、中央ロビーには2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱が展示されている。敷地内には「風土記の庭」や体験用の水田、工房が設置されている。
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10:35 - 11:05 建物・史跡

今市大念寺古墳

出雲平野が一望できる大念寺裏山に位置する全長約92mの前方後円墳。内部構造は奥行き約13mを有する割石造りの横穴式石室で、出雲地方最大の規模。石室は奥室、前室、羨道から構成され、奥室には全国最大級の巨大なくりぬきの横口式家形石棺を、また前室にも組合わせ式の石棺(底部のみ現存)を置く。この古墳の発見は文政9年(1826)といい、当時の記録では全国的にも珍しい金銅製履、大刀、槍、斧、馬具、土器等が出土しており、現在一部が大念寺に保管されている。時期は約6世紀後半に属する。このように、巨石を使用した石室や大形の石棺および豊富な副葬品は葬られた人物の強大な勢力を如実に表す。なお最近、墳丘が版築という極めて進んだ工法で作られていることが判明。版築工法は、従来7世紀頃畿内の古墳や寺院に初めて用いられたとされていたが、この工法が6世紀の当古墳に採用されていることにより、古代出雲文化の水準の高さを意味する
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11:25 - 12:20 イベント

島根ワイナリー

昼食とお買い物
移動(バス)

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建物・史跡

西谷墳墓群史跡公園

「西谷の丘」では,弥生時代後期から古墳時代,そして奈良時代にかけて多くの墓が造られました。正式には「西谷墳墓群」といいます。墳丘を持つ墓だけでも27基が密集し,特に弥生時代後期~終末期に造られた6基の四隅突出型墳丘墓(以下「よすみ」と呼ぶ)は,出雲の権力者たちの墓として全国的に有名です。 西谷墳墓群には,長い年月の間に色々な種類の墓が造られました。弥生時代後期~終末期には「よすみ」が,古墳時代の前半には「古墳」が,古墳時代の終わり頃には「横穴墓」が造られています。奈良時代にも横穴墓への埋葬が行われたほか,「火葬墓」も造られました。 西谷墳墓群の中で特に巨大な規模を持つ2号墓,3号墓,4号墓,9号墓は,弥生時代に出雲を支配した王たちの墓と考えられます。 墳丘はどれも斜面が貼石でおおわれ,裾まわりにも石敷きや石列がぐるりとめぐっていました。 弥生時代としては,全国トップクラスの壮大な王墓です。
移動(徒歩)

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美術館・博物館

出雲弥生の森博物館

国史跡「西谷墳墓群」――邪馬台国の卑弥呼が生きた弥生時代、出雲に巨大な王墓である四隅突出型墳丘墓が現れた――ガラスの勾玉や腕輪、鮮やかな朱の副葬品、そして出雲の王の模型や葬儀の様子を大胆に復元した巨大ジオラマが、見る人を弥生時代へ、出雲王の世界へと誘います。 弥生時代には,銅剣や銅鐸などの青銅器を使ったマツリが盛んでした。しかし,出雲ではほかより早くそれをやめてしまい,やがて,巨大な墓「よすみ」を造ることに力を注ぐようになりました。 「よすみ」の完成された姿が,ここ西谷3号墓にあります。一辺50mの大きさは当時としては日本最大級、斜面に置かれた石の数は二万から三万個です。まさに王の墓にふさわしい内容です。 1800年あまり前,王墓の上で出雲の王の葬儀がおこなわれました。その日の様子を10分の1模型で,想像力豊かに再現しています。
14:25 移動(バス)

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14:50 - 15:50 建物・史跡

荒神谷遺跡

昭和59(1984)年7月、斐川広域農道建設のための発掘調査で、斐川町神庭の谷奥にある斜面から銅剣358本が出土しました。 それまで全国で出土した銅剣の出土総数は約300本、荒神谷はそれをたった一ヶ所で上回ることになりました。 また、翌年7月には、銅剣発見の場所から7m離れた地点から銅鐸6個、銅矛16本が一緒に埋納されていることが明らかとなりました。 銅鐸・銅矛が同一の場所に埋められている例はこれまでなく、銅剣を含めた三種の青銅器が、同一の遺跡から出土することも全国で初めてだったことから、この歴史的大発見により、古代出雲の歴史を大きくクローズアップさせることとなりました。 荒神谷遺跡は、1987年に国の史跡指定を受け、出土した総計380点の青銅器は、1998年に一括国宝に指定されています。
移動(バス)

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16:05 - 17:12 建物・史跡

加茂岩倉遺跡

平成8年(1996)10月14日、加茂町岩倉地内の農道工事中に大量の銅鐸が偶然発見されました。銅鐸が埋められていた穴(埋納坑)は、工事によって大半が壊れていましたが、一部が残っており、そこには約2000年前に埋められたままの状態で身を横たえた銅鐸が姿を見せていました。 発見された銅鐸は、約45㎝大のものが20個、約30㎝大のものが19個の合計39個で1ヶ所の遺跡から出土したものでは全国最多です。現在、加茂岩倉遺跡では銅鐸発見時の状況に復元されています。 また、出土地のすぐ傍らには、遺跡への理解を深めていただくための加茂岩倉遺跡ガイダンスがあり、銅鐸のレプリカ、映像のほか、遺跡の解説パネルなどが見学できます。
移動(バス)

移動(バス)

18:00 宿泊施設

グリーンリッチホテル出雲

食事

食事

自由食 近くにローソンあり。
3日目 2021年11月08日(月)
06:00 食事

食事

08:00 宿泊施設

グリーンリッチホテル出雲

出発
移動(バス)

移動(バス)

08:55 - 09:55 美術館・博物館

島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館

八雲立つ風土記の丘一帯は、奈良時代に編さんされた「出雲国風土記」のくにびき神話ゆかりの地、意宇郡の中心にある地域です。周辺には古墳時代の遺跡をはじめ方墳や前方後方墳などの多くの古墳が分布し、奈良時代の政治、経済、文化の中心地として国庁、国分寺、出雲国造家ゆかりの神社や寺もあり、文化財の一大宝庫です。 八雲立つ風土記の丘は、それらの遺跡を整備し、総合的に保存活用する目的でつくられました。国の指導による風土記の丘構想の一環に基づき、全国で六番目に出来た施設であり、島根県の古代文化紹介と保護を行なっています。 その中心となる展示学習館には、風土記の丘地内出土の遺物をはじめ、出雲国風土記の写本や奈良時代の地内の様子を再現した模型など、県内の古代史を語る多くの資料が展示してあり、園内には、「額田部臣」の銘文入り大刀が出土した岡田山1号墳や風土記植物園もあります。
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10:03 - 10:40 建物・史跡

山代二子塚古墳

この古墳は、1924年(大正13年)刊行の『島根県史』第4巻において、野津左馬之助が「この墳形に属するものは従来考古学者の記述に見ざる我国内希有のものなり」と述べ、考古学史上、初めて「前方後方墳」という名称が付けられ、学界に報告された。また、珍しい墳形である点と出雲の代表的な大きさの古墳として、1924年(大正13年)史跡に指定された。 この古墳は出雲西部の今市大念寺古墳(全長90メートルの前方後円墳)とほぼ同時期に営まれたと考えられており、出雲の東・西に二つの勢力があったかと推測される。被葬者は、出雲の国造などが想像され、墳形や規模からこの地域の最高首長の墓であると推定できる。 また、大庭鶏塚、山代二子塚、山代方墳、永久宅後古墳の4つの大型古墳が近接して築造されている。墳丘は二段に築成されている。しかし、旧日本軍の施設設置の際に後方部の墳丘のおよそ半分は削り取られてしまった。
移動(バス)

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11:00 - 11:50 人気スポット

松江堀川地ビール館

昼食とお買い物
移動(バス)

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12:40 - 14:30 建物・史跡

鳥取県立むきばんだ史跡公園(妻木晩田遺跡)

中国地方の最高峰・大山の麓に甦った弥生時代の国邑、それが妻木晩田遺跡です。 遺跡のひろがりは鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよび、弥生時代に大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったと考えられます。 現在、全体のおよそ1/10が発掘調査されています。その結果、弥生時代中期末(西暦1世紀前半)~古墳時代前期(3世紀前半)にかけての、竪穴住居跡約450棟、掘立柱建物跡約510棟、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓39基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されました。
移動(バス)

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14:35 建物・史跡

向山古墳群

淀江平野の東部の独立丘陵の向山と瓶山にある古墳16基(うち指定14基)及び福岡集落の南にある石馬谷古墳からなる古墳群です。岩屋古墳(向山1号墳)は、全長52.0メートル、2段築成で葺石を持つ前方後円墳です。水鳥、人物などの形象埴輪が出土しています。後円部に天井と各壁が一枚の巨石で作られている横穴式石室が開いています。石室は古くから開口しているため副葬品はほとんど散逸していますが、金銅製の馬具などが出土しています。 向山4号墳は、古墳群のなかで最大規模の全長64.5メートルの前方後円墳で、くびれ部に造りだしがあります。墳丘は2段築成で葺石がめぐります。 石馬谷古墳(小枝山5号墳)は、全長61.2メートルの前方後円墳で墳丘は2段築成で葺石がみられます。石馬が立てられていたと伝えられています。 向山古墳群は5世紀後半から6世紀後半に造営され、大型の前方後円墳を含む西伯耆地域を代表するものです。
移動(徒歩)

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建物・史跡

上淀廃寺跡

上淀廃寺が創建されたのは「癸未年」という文字を刻んだ瓦が出土したことから、白鳳時代(683年頃)と考えられています。 伽藍配置は、西に金堂、東に南北三塔を配し、他に例のないものです。このように三塔を建立する例は、奈良時代以前の国内には例がなく、南北に並ぶ例は朝鮮半島にもありません。中心となる金堂・中塔・南塔の基壇は二重に作られ、瓦積の周囲には石列が築かれています。このような方法は、三国時代に見られ、寺の建設に百済の影響を受けていることがわかります。 また金堂周辺を中心に、寺院壁画片が5,000点以上出土し、壁画片には彩色が施された「菩薩」や「天衣」、「神将」「遠景樹木」などが描かれいます。国内で白鳳期の寺院壁画は唯一、法隆寺金堂壁画(火災で焼失し現存はない)が知られているのみで、考古学、美術学において、極めて重要な発見となっています。
移動(徒歩)

移動(徒歩)

- 16:20 美術館・博物館

上淀白鳳の丘展示館

淀江町内にある10を超える遺跡から出土した土器や壁画、地元淀江の民俗資料を集めた。「石馬」は古墳時代の石造古墳装飾で、かわいらしい形の石馬は体長およそ1.5メートル、古墳時代の後期に築かれた坪根垣古墳(石馬谷古墳)に立て並べていたものと考えられ、九州以外で見つかったのは唯一ここだけ。江戸時代には多くの山中に安置され「石馬大明神」として祭られていました。飛鳥・奈良時代の寺院跡、上淀廃寺から見つかった「仏教壁画」は法隆寺金堂壁画に匹敵するとまで言われ、今までの調査で約5,500点が確認。当時の堂内荘厳を考える上での貴重な資料として考古学、美術学史上で注目されています。井出挟3号古墳の周りの溝から「円筒埴輪・形象埴輪」が大量に発見され、形象埴輪は盾持人、鹿、鳥、家などの種類が出土。中でも西日本では出土例が少ない「盾持人」は3体ほぼ原型をとどめた形で発見されています。
移動(バス)

移動(バス)

18:50 ターミナル・駅のりば

岡山駅/山陽新幹線

20:01 - 21:39 移動(電車)

移動(電車)

新幹線のぞみ60号
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この旅スケジュールの予算(1人の旅行)

  • 移動  0円
  • ツアー代 0円
  • 宿泊  0円
  • 観光  0円
  • 食事  0円
  • その他 0円

合計0円(一人当たり 0円)

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